海外駐在の極意 No.3【アメリカ】
2017.12.18
自動車、飛行機、新幹線、宇宙ステーションから家電まで、円滑な働きを支えるベアリングメーカー日本トップのNSK。世界中のあらゆる産業を支え海外売上比率70%に迫る。アメリカ米州地域本社で多くのアメリカ人と一緒にマーケティングと人事の仕事をされた岡さん。「英語はTOEIC400点台で行きましたけど、同じ人間だと思って懐に飛び込んだんですよ」と本当に楽しそうにお話ししてくださいました。再度赴任したいのもアメリカ。今度は経営者として法人運営をしたいとのこと。

- 氏名
- 岡秀典
- 現職
- 日本精工株式会社 HR本部コーポレート人事室長
- 国・都市
- アメリカ、ミシガン州アナーバー
- 期間
- 2005年8月~2011年1月 5年5か月
- 会社名
- NSK Americas
- 役職
- Assistant to VP of HR
- 機能
- 米州地域本社
- 従業員数
- 3,000人
- 国籍(JS/NS)
- JS70人、他NS
- 直属上司
- dual report to VP(アメリカ人)と総支配人(日本人)
- 直属部下
- ・営業部100人の中でマーケティングチーム35人(全員アメリカ人) ・人事チーム10人(全員アメリカ人)
- 楽しかったこと
- ・アメリカ人との仕事を含めたつきあいが毎日楽しくてしょうがなかった。「アメリカ中西部で有名でもない日本企業に来た彼らは、日本の文化、日本企業、日本人に興味があって、話をしたくてしょうがない」。その人たちに、「同じ人間」だと思って、日本人としての考え方を話すと面白がって聞いて理解してくれた。例えば、日本人はなぜ主張しないで黙っているのか、調和を求める日本人の考え方を伝え、主張しなければわからないというアメリカ人の考え方も聞けた。そうして誤解が解けていき、関係が深くなった。スポーツバーで夜通し朝まで飲んで、フットボール、野球、バスケットの話をした。「岡がいたときが一番楽しかった」とアメリカ人が言ってくれたのが一番嬉しかった。
・英語が話せない奥さんも小学校1年生だった息子も初めは苦労したがすぐに慣れた。学校の先生も、生徒も、コンドミニアムの両隣のアメリカ人も本当によくしてくれた。その頃のアメリカ人、日本人とは今も家族のように仲がいい。アメリカにいるんだから、冬と夏の長期休暇は、日本には帰国せず、アメリカ国内、カナディアンロッキーやカンクーンなどあちこちに旅行した。 - 苦労したこと、大変だったこと
- ・リーマンショック時のリストラ。日本人にはそういう仕事はできないと思った。
・最初の頃は英語がわからなかった。文法の細かいところに気にしなくてもいいんだと思ったときに度胸がついて、英語が話せるようになった。
- マネジメント上で成功したこと
- ・アメリカでの業務は自分にとって初めての業務だったので、業務内容で負ける分、現地と日本、そして、現地の部門の垣根を超えたネットワークづくりで勝とうと思った。日本人とアメリカ人、また、アメリカ人同士をつなげた。「岡に聞けばわかる」「岡はすぐに返事をくれる」と、何かあったら必ず自分のところに話が来るように自分自身の存在価値を出すことに成功した。
・会社で一番大きな11メートルのベアリングを4個、設計して売ることに成功して社内で有名になった。エンジニアが鉄鋼会社に通って取り付けてきた話を自分に相談に来てくれ、かつ、自分の本社へのネットワークを使って実現させた。きちんとしたプロセスを踏まずに受注して怒られた(笑)。
- マネジメント上で失敗したこと
- ・日本人にはアメリカ人の不正が見えなかった。
- 成功するための鍵となる能力・スキル
- ・その国とその国の人を好きになる(日本に来る外国人に何を求めるか考えてもらえればわかると思う)
・「同じ人間だから」と考え、壁を作らず、コミュニケーションすること(英語ができる人でも入っていけない人はいる)
・現地の人のマネジメントは、現地の人に任せること(日本人として仕事は指導できてもマネジメントの領域は日本人には限界がある) - 現地のマネジメント
- ・自分から相手の懐の中に入る、生活感・考え方を知る、アメリカを知る
- これから海外駐在する人が準備しておくべきこと
- ・英語 (出来るに越したことはない)
・英語ができる人でも、壁を作る人、コミュニケーションできない人はうまくいかない
- 次の駐在はどこがいいか?
- ・アメリカ。但し、次回は厳しいことも言う経営者という立場で赴任しなければならず、以前のアメリカの楽しい思い出はそのまま残しておきたい気もする
・海外法人のヘッドとして法人運営をしてみたい
・家族で行けるところならどこでも行ってみたい